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は誰なのだろう。また桜之丞という人の記憶なのだろうか、と右胸の刻印に手を当てると、ズキンと強い痛みが走る。
『鬼切丸よ、どうか叶うなら彼女から僕の記憶を消し去ってくれ。愛しい人が涙に暮れることがないように。道を迷わせないように』
するとその様な声が脳裏に響いた。artas植髮 鬼切丸というのは、所有しているはずの太刀の名だ。そしてこのような言葉は掛けられたこともない。
その時、桜司郎はある事に気付いた。薄緑は藤から貰ったが、鬼切丸は元々誰の刀だったのだろうかと。白岩から受け取ったことは朧気に覚えているが、あれは彼の刀では無かった。
そこの記憶がまるで作為的に切り取られたかのように、すっかり抜け落ちている。つぎはぎの記憶は所々不自然な箇所があった。
──京に来て、新撰組から追い掛けられた私を助けてくれた人は誰?高杉さんでも、桂さんでも無かったことは覚えているのに、その人の事だけ思い出せない。
──私は何故あの夜、自害しようとしたの?何に絶望したの……?
だが、その問いに答える者は誰も居なかった。それどころか、思い出そうとすればする程に何かの力が働いたかのように忘れていく。
気付けば夢の中の人物の顔がもう思い出せなくなっていた。残されたのは、虚しさに似た感情だけ。
「……ずるい、人」
桜司郎は誰に向けたか分からない言葉をポツリと呟くと、目を閉じた。だが、また同じ夢を見ることは無かった。
何故、神の悪戯のようにあの夢を見たのかは誰にも分からない。ただ出来るのは焦らずに一つ一つ糸を手繰り寄せることだけだった。
様々な思いを残して、時は進んでいく── 翌日。日が傾き、嵯峨野の山に夕陽が消えていくのを西本願寺の門前で沖田と永倉、松原は見ていた。
「遅いですねェ……。文では確か、今日帰ってくると書いてあったのでしょう?」
門に持たれかかりながら、沖田は呟く。ケホケホと乾いた咳をすると、それを永倉が横目で見た。
「おい、総司。最近妙に咳してやがるな。風邪か?」
「そうですか?暖かくなってきたから、大丈夫だと思うのですが……」
そう返しながら、沖田は咳の頻度が増えた自覚がある。加えて、少しだけ身体が重だるいような、微熱があるような気がした。
その会話を横で聞いていた松原は沖田の顔を覗き込む。
「沖田センセ、風邪を甘く見たらアカンで。いくら若くて元気やってもな、拗らせたらがやられてまうこともあるんやって」
「大袈裟ですよ……。私は身体は強い方ですからね。って、松原さん、永倉さん!あれあれ!」
苦笑いを浮かべた沖田は門の外を覗くように額に手を翳す。夕闇から複数の人影が歩いてくるのを見付けたのだ。永倉と松原の着物の袖を無邪気に引っ張る。
顔は見えずとも、それが誰なのかは彼らには分かった。
「わ、ワシッ!局長らに伝えてくるわッ」
松原は土方らの帰営を伝えるべく、屯所へ走る。総門を潜って土方を先頭に伊東、斎藤と続いた。
永倉は労いの声を掛けつつ目で藤堂の姿を探す。 にて桜司郎と談笑しながら歩くその姿を見付けるなり、永倉は身体の力が抜けるのを感じた。此処に戻ってきたという事は、山南の死を乗り越えたということである。良かった、と永倉は顔を歪めると藤堂に向かって走り出した。
「平助ッ!」
「あッ、新八さんだ〜。ただいま!」
そのような永倉の気持ちも知らず、藤堂は呑気な返事をする。永倉がガバリとその肩へ腕を回すと、藤堂は勢いに呑まれて前へつんのめった。
「アハハッ、痛いって!全く……馬鹿力なんだからさァ」