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「…そう…か、私は…
…これが…恋…
私は…桜が…」
芳輝の瞳が静かに輝く。
ーーーー
その希望に満ちて空を見つめる夢見るような瞳を、香は恨めしく見つめていた。
「例え愛されなくとも…私は…
いいえ」
口の中でぼそりと呟いた香の、點讀筆 涙が一気に乾いていく。
「…」
香はにっこりと笑った。
「芳輝様。
私は芳輝様には幸せになって欲しいと思っております」
芳輝は戸惑ったように香を見下ろす。
「芳輝様の初めての恋、許婚として応援させてください」
ーー元許婚ーー
にこりと微笑む香に、芳輝はホッとしたように微笑んだ。
「姫…
あなたは本当に…心も美しい方だ…」
香は微笑む。
「桜さんとおっしゃるーーその方はきっと…とても素敵な方なのでしょうね。
私も是非、女同士お友達になりたいですわ。
芳輝様には…女心を教えて差し上げます」
平静を装う香の笑顔には気づく由もなくーー芳輝は安心しきったように微笑む。
「ああ、ありがとう…」
「幼い頃からの仲ですもの。
それでーーその桜さんは、どちらの姫なのですか」
「ああ、彼女は今、高島にいるんだ」
「…高島…
お姉さまの…」
香の脳裏に、小さい頃からよくお会いしていた緋沙の姿が浮かんでいた。
「うん、そうなんだ。
実は…なかなか…緋沙のやつ、桜に会わせてくれないんだ。
そもそも桜に会ったのはたった1日だけなんだよ…それでも、雷に打たれたように…私は」
「…」
芳輝は香に微笑んだ。
「緋沙は桜は絶対ダメだって…でも私は諦めない」
香は着物の袖の中、手が白くなる程握りこぶしをぎゅうッと握る。
「まあ…素敵です。
芳輝様に思われてーー桜さんは幸せですね」
芳輝は嬉しそうに笑う。
「はは…」
そんな飛び切りの笑顔を初めて見た香はーー
芳輝には見えないように、自分の手に爪を立てた。
ぶしゅっと爪が刺さり、皮膚が傷つく。
「是非、お近づきになりたいですわ」
「ああ。姫なら、桜も喜ぶだろう」
鷹揚に微笑む芳輝にいとまを告げ、香はお付きの者が待つ門扉へ向かった。
「姫様…」
門のところでいつも通りにこやかに見送りに挨拶し、香が籠に向かって歩いてくる。
門がゆっくり閉まる。
頭を下げる二条家の家臣、鷲尾は驚いた。
香は、涙に溢れていたからだ。
毅然とまっすぐ歩いてくる香は無表情なのにーーその頬には、隠しもしない涙がとめどなく溢れていた。
「お香様…っ…どうなさいましたか」
鷲尾が咄嗟に目配せし、二条家の者はそれぞれ目を伏せ遠巻きに離れる。
香は静かに鷲尾の胸に飛び込むと、そのまま声を殺して泣いた。
鷲尾は優しく香を抱きとめ、小さく言った。
「まさか…多賀のご当主が無体なことを…?」
胸の中でーー香は子どものようにかぶりを振り、鷲尾の胸が濡れるほど泣いている。
「…姫様」
鷲尾は優しく香を抱きとめたまま、涙が枯れるまでじっとしていた。
「…鷲尾」
「はい」
香が頬を拭き、顔を上げた時。
その表情は既に毅然としていた。
「…二条家の忍を」
「…」
鷲尾は虚をつかれたように香を見下ろす。
「姫様…何を」
「…今は言いたくない。
とにかく、一番手練れの忍をーー私のところに」
「はっ…承知しました」
鷲尾は頭を下げた。
「父上と母上には内密に」
「…心得ております」
香はすっと振り返ると多賀の屋敷を見つめる。
幼い頃から何度も通ったーー
「…」
今も芳輝を憎いとは思わない。
ただーー怒り、嫉妬、恨み。
そんな強い、どす黒い感情はただ”桜”だけに向かう。
見たこともない、姫。
高島にいるという、その姫。
どんな顔なのか。
どんな見た目なのか。
品のある娘なのかーー
どうやって、芳輝をたぶらかしたのか。
しかもーーたった一日で。
何年もお会いして来た自分は選ばれなかった。
”桜”は、芳輝様に選ばれた…女。
ギリっと唇を噛む。
手をギュッと握ると、さっきつけた傷から血が滲む。
「…姫、お怪我を?」
鷲尾は驚いて香の手に手を伸ばす。
「…触れるな」
はっ…と鷲尾は香を見て、そっと目を伏せる。
胸に飛び込んで泣いた姫。
あの時だけでーーもう姫はいつもの姫だった。
気高く誇り高い二条家の姫。
その姫のためなら、自分は何でもするーー
鷲尾は1歩さがると頭を下げた。
「…申し訳ありません」
「…」
香は籠に向かって歩く。
家臣がサッと簾を上げた。
「帰る」
「はっ…」
鷲尾は応えると、家臣たちに目配せする。